5周年

5周年

おはようございます、院長の大塚です。

本日で当院は5周年を迎えました。

当院の始まりは、私が高校時代から海外医療を志した事にルーツがあります。

国境なき医師団で活躍されていた貫戸朋子先生をTV番組の徹子の部屋で見て、

‘海外医療で大変な環境での活動は、時に命の危険性もあり辛い思いをすることもあるものの、ものの見方や考え方が変わり充実感を覚える’

という言葉に感銘を受けたのです。

それから医師となり、装備が比較的コンパクトで、日本の技術を海外で発揮できるのではないかと内視鏡医の道を選択しました。

その後、内視鏡の研鑽を積んでいた医師10年目の頃、東日本大震災が起きました。

現地の悲惨な映像を見て、居ても立っても居られない感覚で、当時所属していた前橋赤十字病院のメンバーとして救助に向かうのを志願しました。

発災4日目から石巻市での救助活動に参加し、適切な医療の届かないところに届けるという事に対する使命感を覚えました。

(現地での経験については、またの機会にお話ししたいと思います。)

そして、海外医療に挑戦しようとした際に、ジャパンハートの吉岡先生の講演会に出席し、挨拶させていただいたのがきっかけでミャンマーへの道が開けたのでした。

その後、定期的にミャンマーに通い、ジャパンハートでのオペや外来活動、やがてマンダレー国立病院での内視鏡活動をするに至りました。

マンダレーとメールでやりとりをして、事前に必要な物資を日本で仕入れて持ち込み、現地で内視鏡治療をして、また日本に帰るというミッションを季節に一度程度行いました。

その中で、日本では診ない疾患を目の当たりにすることが非常多くありました。

その中で一つ例を挙げるとしたら、4歳児が食道静脈瘤で吐血して運ばれてくるという事例です。

日本で食道静脈瘤とういうと、肝硬変というアルコールなどで肝臓が固くなってしまっている大人の疾患なのですが、同様の病態で子供が緊急内視鏡を受けているのです。

マンダレーの教授にどうしてかと聞くと、産婆さんの手が不潔のため臍帯に膿瘍という膿の塊ができ、それが肝臓を圧迫しているというのです。

私は唖然としました。

それで多量の血を吐いている子供が運ばれて来るのは日本では全く想像いかないものでした。

そういった経験から、教育や健康に対する意識というものの大切さを痛感しました。

そして、日本を振り返ると、患者と医療者との健康に対する認識や知識の共有は、決して完全ではないということが気になり始めました。

薬を飲んでいれば大丈夫!という事ではなく、心も体も健康に生きるためには食事や呼吸、光や音に至るまで多くの要素が、私たちを司っていると思うのです。

そういった健康のエッセンスを共に探求・共有し、日常から意識できるようになる場所としてのクリニックのあり方を実現したら、どんなに面白いだろうか。

今までにない医療を届けるべきなのではないだろうか。

そんな思いから、当院は始まっています。

WHOでは健康の定義を、身体的・精神的・社会的に動的状態であり、単に疾病または病弱の存在しないことではないとしています。

また、とある東大教授の言葉の

‘19世紀の病院は死に逝く修道所のような場所だった、20世紀の病院は病気の治る工場のような場所だった、21世紀の病院とはどんな場所なのか?’

という問いかけに挑戦してみたい気持ちが強く芽生えました。

それに対する一つの重要な要素として、WHOもクオリティーを認める世界最古の医療であるアーユルヴェーダ医療です。

医療の環境にも配慮した、アーユルヴェーダ医療の施設に感銘を受け、現在の敷島公園の地に構想・設計を進めました。

そんなときに友人の紹介で、海外での医療を推進しようとする医療法人 石井会の石井先生とお会いしたところ、コンセプトに賛同いただき、共にクリニックを実現することとなりました。

その後は、ノウハウのある石井会の方々に支えられ、急展開で開業準備が進み、開業前日まで建築やシステムの調整に日夜明け暮れていたのを今でも克明に覚えています。

クリニックスタッフの皆んなも、多くの課題に不安を抱えながらもリハーサルを重ね、開業になんとか間に合わせた姿が今でもとても印象に残っています。

開業してからは、この5年間で多くの症例や様々な問題にスタッフ共々対応して来ました。

患者さんや御家族と、ヨガや自家製味噌造り、インドのリシケシュから大学教授を招いてのアーユルヴェーダのワークショップと個人診断、漢方や薬食同源のワークショプ、アロマセラピー、ペットボトルロケットのメカニズムを子供とともに学ぶサイエンスの時間なども経験して来ました。

コロナの影響もあり、実現は簡単ではなかった道のりですが、何とか5年間登山を続けてきた思いです。

現在は、日赤勤務時代からの後輩である關谷医師を副院長に迎え、よりいっそうクリニックの忙しさも増して来ていますが、うろたえることなく落ち着いて対応しているスタッフ達の姿に、この5年間での成長を実感しています。

自分自身も、90歳まで開業医として現役を通した父の姿を思い出し、時には今もアドバイスを受けながら、患者さんの人生に寄り添う医師のあり方というものが見え始めている気がしています。

これからも、我々 敷島の森おなかのクリニックは絶えず成長を続け、最先端の医療技術と古からの叡智を用いながら

健康について感じ・考え・学べる場所としてのクリニックのあり方を、スタッフ・患者様・他多くの見識者の方々と繋がり探求して参ります。

今後とも何卒よろしくお願い申し上げます。