ミャンマー クーデター
- 2021.02.23
- 雑記
2月1日にミャンマーでクーデターが起きました。
私が、ミャンマーにボランティアのため初めて訪れたのは2013年の1月で、2010年11月に民主化されてから2年ちょっとの頃でした。
当時は、大都市ヤンゴンでもタクシーに乗ると床が抜けていて、流れ行く地面が見えたりしたもので、
お金に関してはクレジットカードのATMなどはなく、ドル札からしか換金してもらえない上に折り目がついていると換金してもらえないため、用意した資金が使えずギリギリまで節約したり、
街中で英語が通じる人はほとんどおらず、
通信においても、インターネットカフェでもメールすら見るのもままならない状況でした。
今や現代人にとって言葉・お金・通信は滞在しやすい国の基本条件であり、当時からインバウンドを目指す日本でもトラベラーズSIMなどは高価であったため、日本も海外の人から見ると入りやすい国ではないのだろうなと気付いたりしたものでした。
しかし、ミャンマーで出会った人々はとても生き生きとしていて、民主化による希望や街のエネルギーというものが肌で感じられました。
中には医療や経済を成長させていこうと熱意を持って行動する人たちや、
8ヶ国語を喋れるようにと勉強していて、すでに6ヶ国語話せる学生もいたりと
日本ではない たくましさやハングリー精神というものを教えてもらった感がありました。
私自身も一つの国の新たな日の出に立ち会うつもりで、献身してまいりました。
その後、毎年ミャンマーに通うごとに街は変化を遂げ、
翌年にはATMができ、2−3年のうちには北欧系のSIMカードが売られようになり、道にはレクサスが走るようになりました。
一生懸命に生き、成長しようとしている人々にとって、今回のクーデターにより希望を失うことはあまりにも辛いことです。
ミャンマー人の友人はなんとか打開しようと必死に活動していますし、国民のデモの映像を見ても、あれほどのエネルギーを今の日本人は団結できるのだろうかと思うほどの本気度が伺えます。
今まで、ミャンマーの人たちには色々なことを教わって来ています。
人の温かさや、感謝、笑顔、強さ、時には地域コミュニティのあり方や経済格差の光と影に至るまで。
そして、ボランテアや医療者として、相手にしてあげるのではなく自分の成長のために行っていることなのだと気付かされたのは非常に大きいと思います。
ミャンマーで医療を行っていると、健康に対する知識がないために病を患っている患者をよく診ましたが、
それは日本でもレベルは違えど同様であるという考えから、患者さんや世界の人々と様々な角度から健康について考えるクリニックを創る発想にもつながっています。
これからのミャンマーの平和を願っています。
大塚
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